<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>食の魔法</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://peader.com/atom.xml" />
   <id>tag:peader.com,2012://3</id>
   <updated>2012-04-01T22:35:03Z</updated>
   <subtitle>食事って奥が深い～！</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.36</generator>

<entry>
   <title>鉱石と金属の分離</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2012/04/post_19.html" />
   <id>tag:peader.com,2012://3.225</id>
   
   <published>2012-04-01T08:27:41Z</published>
   <updated>2012-04-01T22:35:03Z</updated>
   
   <summary>金属加工への第1歩について。 くじゃく石から銅を精錬するためには、砕いた鉱石を、...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[金属加工への第1歩について。


くじゃく石から銅を精錬するためには、砕いた鉱石を、800度以上の高温で熱しなければなりません。


しかし、ふつうのたき火では、このような高温を得ることはできません。


そこでティムナの初期の銅細工師たちは、地面を掘って、石で半地下式の円形の炉を築いた。


そしてその炉に、アカシアを原料とした堅くて火もちのよい木炭を、3分の2くらいの高さまで詰め込んだ。


銅細工師たちは、この木炭に火をつけると、火吹き筒で息を吹き込み、絶えず炉に空気を送っては火の温度を高めた。


この火吹き筒は、獣皮を丸めてつくったものであるが、筒の端には耐火性の陶磁製の口がつけられていました。


金工職人のひとりが、一定の間隔をおいて、両手で選別されたくじゃく石をすくっては燃えている炭火に振りかけ、ついで木炭を加えた。


このようにして、炉の縁に達するまで、燃料と鉱石を交互に加えでした。


炉の火が十分な高温に達し、鉱石に含まれていた金属や<a href="http://www.naldic.co.jp/" target="_blank">ロートアイアン</a>と岩石が分離すると、火は燃えつきるまで放置されました。


炉の中にはスラッグの堆積と、溶解した銅を含んだ黒ずんだ塊が残る。


スラッグの塊の中にある豆粒大の銅を取り出すためには、スラッグの塊を打ち砕かなければならなかった。
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>七赤金星との相性</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2012/03/post_18.html" />
   <id>tag:peader.com,2012://3.220</id>
   
   <published>2012-03-02T03:29:39Z</published>
   <updated>2012-03-02T23:35:03Z</updated>
   
   <summary> 七赤金星の男性は、ハデで自尊心が強い反面、理想ばかり高くて実行力が伴わない傾向...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[
七赤金星の男性は、ハデで自尊心が強い反面、理想ばかり高くて実行力が伴わない傾向があります。

また、四緑木星の女性は堅実で地味で、周囲との協調を計るあまり、石橋を叩いても渡らないことさえあります。

まさに正反対といってもいいでしょう。

相性が悪いのも無理はないのです。

ですから、四緑木星から見れば、相手のことが全く理解できないのです。

しかも、相手のハデな行動にふりまわされて、神経がまいってしまうことも、少なくありません。

なるべく早いうちに手をうって、凶の相性を少しでも解消する必要があるでしょう。

<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>へどうぞ。
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ルールの存在しないサッカー？！</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2011/11/post_17.html" />
   <id>tag:peader.com,2011://3.202</id>
   
   <published>2011-11-10T05:04:10Z</published>
   <updated>2011-11-10T23:35:03Z</updated>
   
   <summary> 大部分の民俗フットボールがもっていたルールというのは、ゴールをどこに設けるか・...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[
大部分の民俗フットボールがもっていたルールというのは、ゴールをどこに設けるか・・・


しすて、ボールをどうやって投げ入れて試合を開始するか、どうやったらゴール成功となるかといったわずかな点に関するものでしかなく・・・


それらは、エリック・ダニングとケネス・シャドが『ラグビーとイギリス人』のなかで使っている言葉を借りれば、「伝統によって合法化された、単純かつ不文の慣習的ルール」なのでした。


民俗フットボールのもう一つの共通点は、レフェリーがいなかったということです。


・・・これは、ルールがほとんどないということから必然的に出てくる特徴でした。


デザインの優れた<a href="http://www.alma-japan.com/" target="_blank">サッカーユニフォーム</a>がある現代のサッカーやラグビーでは、あらかじめ定められた詳細なルールに基づいて、違反行為をした選手を罰する権限を与えられているレフェリーがゲームの進行をコントロールします。


それに対して、民俗フッドボールの場合はレフェリーが存在しなかったので、ゲーム進行のコントロールはプレーヤー自身に委ねられていました。


・・・そのため、彼らが自制心をもってプレーしているうちはよかったのですが、ひとたび自制心を失うと、フットボールは騒乱と破壊と死傷の同義語になったのです。


ルールがほとんどなく、レフェリーも存在しないということは、フットボールを統括する大きな組織が存在しないということでもありました。


]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>とある占星家</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2011/09/post_16.html" />
   <id>tag:peader.com,2011://3.195</id>
   
   <published>2011-09-27T02:57:28Z</published>
   <updated>2011-09-27T22:35:03Z</updated>
   
   <summary>とある占星家は性格がはっきりとわかっており、その運命も知られている人びと、すなわ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[とある占星家は性格がはっきりとわかっており、その運命も知られている人びと、すなわち殺人罪の判決を受けた受刑者たちの出生資料をその会社に送った。


出生時刻は、そのような十名の悪党の出生証明書から得られた。


コンピュータ会社は十名の殺人犯それぞれについて完全な天宮図と解釈とを返送した。


コンピュータにより描かれた惑星の位置は正確でした。


十の解釈はそれぞれ異なっていたが、ある標準語句は重複していたし、おそらくプログラムの誤りによるのであろうが、矛盾した記述が同じ解釈の中にありました。


十の解釈の中には、犯罪または反社会的傾向を示したものは全くなかったし、人格描写のどれ一つとして、殺人犯たちの一般的性格に似ていなかった。


これと同じ住所のコンピュータ会社のもう一つの広告に応募して、ゴークランは、殺人犯のひとりの出生資料明細を送った。


返送されてきた解釈はまえのものとは全く異なっていたし、その殺人者の性格とも似ていなかった。


いずれの場合も、コンピュータのプログラムは、二十六冊の書物の著者であり「現代占星術のリーダー」である著名な占星家によって指導されたものでした。


＞＞<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>
]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>プロジェクターで映画を観ると・・・</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2011/06/post_15.html" />
   <id>tag:peader.com,2011://3.188</id>
   
   <published>2011-06-22T02:37:46Z</published>
   <updated>2011-07-06T02:40:05Z</updated>
   
   <summary>プロジェクター レンタルで、『さらば箱舟』を観ました。 病いをおして完成させた寺...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">プロジェクター レンタル</a>で、『さらば箱舟』を観ました。


病いをおして完成させた寺山修司の遺作。


ガルシア・マルケスの幻想小説『百年の孤独』の映画化として企画が進行したそうですが、寺山のオリジナル作品となりました。


寺山の原風景である東北を離れて、沖縄を舞台に(設定はあくまで架空の村)、『百年の孤独』に通じる血縁的共同体を日本的な民族イメージで描いています。


存在感という言葉を口にしますが、その基準は人それぞれなのではないでしょうか。


・・・たとえば、体が大きいだけでも存在感を感じるという人もいるでしょうし、「好き」と存在感をはき違えている人もいるでしょう。


しかし、存在感という言葉の根底には誰しもが見えないところで、その相手に対する恐怖感を持っているような気がします。


相手をどこかで恐れているが故に、相手の存在が大きく映るのではないでしょうか。


そんな意味でわたしにとっての「存在感のある役者」と言えば、山崎努なのです。


とにかく、この人が自分の家族だったりして、家でテレビを観ていたり、食卓で向かい合ったりしたら・・・。


想像しただけでもその存在に息が詰まりそうですね。


『八つ墓村』での懐中電灯ダッシュ、『マルサの女』での面妖なダンス。


この『さらば箱舟』での重たい血の臭い・・・。


そして、その役柄を超えたところにある木彫家具のような表情。


そして、これだけ特徴がありながら、誰もモノマネできない一種独特な雰囲気とポジション。


巨人ファンだという平凡な情報もにわかに信じ難いほど、山崎努の存在は重いのです。


]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>不眠症になりやすい人</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2011/04/post_13.html" />
   <id>tag:peader.com,2011://3.163</id>
   
   <published>2011-04-08T06:03:46Z</published>
   <updated>2011-04-21T06:04:09Z</updated>
   
   <summary>不眠症を完全に理解しようとする科学者が直面する難問は、不眠を訴える人は性格が弱く...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[不眠症を完全に理解しようとする科学者が直面する難問は、不眠を訴える人は性格が弱く消極的な傾向がある、という報告と関連しています。

医師や研究者は、不眠症患者は不平家であり心気症(ヒポコンデリー)患者だ、としばしば主張しています。

開業医にとって、睡眠不足の患者はほんとうの病人でないことが多く、診察室で長話をされて仕事の予定が邪魔されると困るので、処方箋を書いてすますことだってあるのです。

睡眠研究者が頻繁に報告することですが、比較のために検査室にきてもらった正常人より、不眠症患者はずっと扱いにくく文句をよく言うとのことです。

性格テストで調べたところ、不眠症患者群のほうが「正常人」群よりもずっと有意に、依存心が強く心気症的な性格を示す、という研究もあります。

こういう報告のせいで、<a href="http://www.bederabi.com/" target="_blank">フランスベッド</a>での不眠症は気の病だからかなり救いがたい、と断定して不眠症の訴えに取り合わないという雰囲気が出てきます。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>マイ・フェア・レディーのように</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2011/02/post_12.html" />
   <id>tag:peader.com,2011://3.158</id>
   
   <published>2011-02-24T07:14:14Z</published>
   <updated>2011-03-08T23:35:02Z</updated>
   
   <summary>英語の発音のむずかしさは英語を母語とする人にとっても大問題となります。 石川遼　...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[英語の発音のむずかしさは英語を母語とする人にとっても大問題となります。

<a href="http://www.espritline.co.jp/bs/" target="_blank">石川遼　英語</a>はよく英語を話していて凄いなと思います。

『マイ・フェア・レディー』の主役となった貧しい花売娘エライザは、血気に満ちた言語学者ヒギソズ教授のもとで寝るひまもなく発音の勉強をし、ついに英語の発音をマスターして上流社会の貴婦人の仲間入りをしました。

今世紀初頭の古き良き時代のロソドンを舞台とする映画は、右名な劇作家バーナード・ショーの舞台劇『ピグマリオン』に基づいて書かれたことは広く知られています。

ショーがこの舞台劇を書いた動機はなかなか興味溜建いものがあります。

その頃の英国には容易に変えることのできない階級制度が、社会の根底をなしていました。

エライザのような貧民街に生まれた者はよい仕事にもつけず、一生涯、下層階級で過ごす運命にあったわけです。

当時、最も進歩的な思想家の一人であったショーはこうした貧しい人々に同情し、社会階級の違いを不公平に思いました。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>サプリを上手に使おう</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2011/02/post_11.html" />
   <id>tag:peader.com,2011://3.145</id>
   
   <published>2011-02-07T09:29:58Z</published>
   <updated>2011-02-07T23:35:03Z</updated>
   
   <summary>テレビや雑誌で、サプリメントや健康食品のすばらしい効能をよく聞きます。 皆さんも...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[テレビや雑誌で、サプリメントや健康食品のすばらしい効能をよく聞きます。

皆さんもお使いになったことがあると思います。

ところで、気に入ったサプリメントは見つかりましたか。

使ってはみたが、長続きせずに途中でやめてしまった……そのような経験をされた方も多いのではないでしょうか。

サプリメントの本当の姿はどのようなものでしょうか。

「食品のように手軽で、医薬品のように効果がある」というふれこみで、「健康食品」は売り上げを伸ばしています。

最近は、アメリカのブームから影響を受けています。

英語の「ダイエタリー・サプリメント」を略した「サプリメント」という言葉が、「健康食品」という言葉に代わって使われるようになりました。

本書では、サプリメントという言葉を「健康食品」を含んだ広い意味で使っています。

もちろん、健康に良いものを買って病気を防げるならば、買う側にだけでなく売る側にとっても良いことでしょう。

ところが、難病患者の不安につけ込んで高額商品を売り込むインチキ商法が後を絶ちません。

<a href="http://napure.jp/" target="_blank">モリンガ</a>のようなサプリメントをうまく使うには、消費者一人ひとりが自分で判断することが大切です。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本の建築技術　8</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/10/8.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.88</id>
   
   <published>2010-10-19T01:52:54Z</published>
   <updated>2010-10-19T22:35:02Z</updated>
   
   <summary>床脇の踏込畳の上部は、二重になった変形の棚だけで正規の違棚はありません。 そして...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      床脇の踏込畳の上部は、二重になった変形の棚だけで正規の違棚はありません。


そして、付書院は、この棚の隣に展開しています。


しかし、二重になった棚板と踏み込み畳のために、この付書院は、床の間から半間離れ、奥に半間食い込んでいるのです。


付書院正面は、欄間が花挟間でその下に火灯窓が入り、窓の四枚の障子は縦桟と横桟が三本二本一本の吹寄せになっており、地袋の襖に小さな長方形隅丸の引手がついています。


また、この付書院の地板の高さは、50㎝ほどで書や文房具を使う通常の位置よりも高いです。


これは、実用性がまったくなくなり、装飾する方向に付書院が変化したことを物語っています。


こうした装飾性は、本来は板であるはずの付書院の両側面にも及び、上.から花挟間と木瓜型の刹りぬきになっています。


一の間の天井は、細い赤漆塗りの格天井で格間に網代が張られています。


格子は、前の例にもあったように小さくされ、この時代の特徴を示すようになっています。


長流亭の一の間には、床の間と付書院がありました。


しかし、床の間と付書院のありかたや細部は、書院造とはいえないでしょう。


また、床の間と付書院以外の要素は、すでに見てきた別荘または休息所で使われていた手法に似たものや変化をつけ加えたものでした。


したがって、床の間と付書院を含めて、長流亭は、数寄屋風座敷という分類に入ってくるでしょう。


書院造の二間つづきの座敷と数寄屋風の二間つづきの座敷は、平面図では差異が認めにくいものです。


極端にいえば、数寄屋風の二間つづきの座敷に座って書院の原型といわれる「二条城二の丸御殿の大広間や西本願寺対面所」を思い浮かべ対比して、はじめて私達は、数寄屋風を感じとることができるのでしょう。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本の建築技術　7</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/10/7.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.87</id>
   
   <published>2010-10-09T01:51:13Z</published>
   <updated>2010-10-09T22:35:02Z</updated>
   
   <summary>西南の丸の中に唐草の彫り物を上部にもつ桟唐戸を内開きに開けます。 すると、入側の...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      西南の丸の中に唐草の彫り物を上部にもつ桟唐戸を内開きに開けます。


すると、入側の突当りは、変形の竹の節欄簡.をもつ引遠いの帯板戸があり、帯板戸が花菱宝紋などの模
様で飾られています。


この仕切りの横は、糸面の角柱で色付の小壁が広がり、小壁の下に次の間入口の腰板に赤漆塗りの板の彫り型をもつ二本吹き寄せの腰障子があります。


次の間六畳半の突当りには、右に半畳の畳を入れ一間の床の間をとっています。


床の間は、床柱が面皮で畳床とし、色付きの小壁をうける落掛に自然木のやや曲がったものを使っています。


床の間の側面は、草木図の張付壁であり、本来は床の間背面にも展開していました。


一の間境の鴨居の下の襖は四枚、十字型の引き手を使っています。


天井は、網代で二本一本と吹き寄せにされた漆塗りの赤く細い樟縁になります。


一の間六畳半の内部は、次の間との境が色付きの小壁に鴨居で、次の間と同じ襖がたっています。


床の間は、床柱が面皮の畳床となり、赤漆塗りの枠で上を押えた沖潜りがとられています。

      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本の建築技術　6</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/09/6.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.86</id>
   
   <published>2010-09-19T01:49:32Z</published>
   <updated>2010-09-19T22:35:01Z</updated>
   
   <summary>大聖寺藩初代藩主利治の頃には、大聖寺周辺の那谷寺本堂と華奢な三重塔や小松天満宮が...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      大聖寺藩初代藩主利治の頃には、大聖寺周辺の那谷寺本堂と華奢な三重塔や小松天満宮が加賀藩の御大工によって建てられていました。


加賀藩直属の「地方遣之大工」の存在や、那谷寺の法印が前掲棟札の筆頭であることから類推して、大聖寺城の居館は、加賀藩直属の大工によってなされた可能性が高いです。


御大工の系譜としては、建仁寺流となるでしょう。


ただし、塚本吉右衛門、国本小兵衛の各前は、加賀藩直属の上級大工の中に見出せないのです。


長流亭は、四方に一間幅の畳の入側を巡らし、入側の内側に腰障子を用意しています。


入側の外側は、西側と北側が腰から鴨居までの障子と突き上げ戸になり、東側が二間の開放された縁と土庇、一間半の二枚の板戸と障子。


一間の二枚の板戸と障子の連続になり、南側が一間半の二枚の板戸と障子二つの連続となって西南の玄関になります。


西側と北側には、腰があります。


しかし、こうした入側の外側と内側のたたずまいは、灯心亭で見た畳の入側のように開放的なものなのです。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本の建築技術　5</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/09/5.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.85</id>
   
   <published>2010-09-09T01:46:55Z</published>
   <updated>2010-09-09T22:35:02Z</updated>
   
   <summary>石川県加賀市大聖寺江沼神社に現存する、長流亭。 この長流亭は、河端御亭とも称せら...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      石川県加賀市大聖寺江沼神社に現存する、長流亭。


この長流亭は、河端御亭とも称せられ、大聖寺川と熊坂川の支流の合流点の水に臨んだ亭でした。


棟札は、長流亭の上棟を宝永六年(1709)とし、二人の奉行と大工塚本吉右衛門、小工国本小兵衛の名を記しています。


この上棟は、大聖寺藩三代藩主利直の時です。


社伝によれば、長流亭の起工は、大聖寺藩初代藩主利治の万治二年(1659)であり、親交の深かった小堀遠州に依嘱していた設計に基づいたとされています。


小堀遠州の没年は、正保四年（1647)、享年69歳。


設計の依嘱は、年代的に可能な限界であったでしょう。


むしろ、社伝は、長流亭が上棟時よりも早い計画と早い意匠の可能性をもっていたことを物語っていると見ておきたいのです。


加賀藩三代藩主利常の第三子にあたる大聖寺藩初代藩主利治は、支藩を樹立するにあたって、寛永十六年(1639)から大聖寺城という居館を営んでいました。


長流亭起工の万治二年(1659)は、居館群建造の最後の時期にあたっていたのでしょう。


起工50年後に完成した長流亭が17世紀後半の意匠を示しているのは、こうしたことを反映しているのでしょう。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>資産の保全</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/09/post_14.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.187</id>
   
   <published>2010-09-05T03:43:46Z</published>
   <updated>2011-07-05T03:45:55Z</updated>
   
   <summary>こうして一〇年間運用すれば、将来超円高に振れても、なんと一ドルが 四六円になって...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      <![CDATA[こうして一〇年間運用すれば、将来超円高に振れても、なんと一ドルが

四六円になっても元本が保証され、日本円での運用益も確保されるのだ。

ここまでリスクをみていれば、資産の保全という点では万全だろう。

この他に年五〇万円を預金しているので、これを円で貯めていけば、一〇年で

五〇〇万円になっている。<a style="color:#1A1A19; text-decoration:none; font-weight:normal;" href="http://forex2008.blog45.fc2.com/" target="_blank">エグゼクティブトレード</a>によると、これとドル預金が一万五〇〇〇ドル以上ある。

ただし日本円の預金は、一〇年目で一〇五万円を少し超えただけである。

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本の建築技術　4</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/08/4.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.84</id>
   
   <published>2010-08-19T01:45:30Z</published>
   <updated>2010-08-19T22:35:02Z</updated>
   
   <summary>次の間は、色付の糸面角柱と鴨居が基本となっています。 この壁は、部分的に紙を貼っ...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      次の間は、色付の糸面角柱と鴨居が基本となっています。


この壁は、部分的に紙を貼った色土壁になります。


この意匠は、次の間西側の水屋棚の下半分で、小さな三枚の棚板の壁に接触するところを紙貼りにすることで生かされています。


水屋棚の上半分は、奥に紙貼りなしの五枚の棚を組んで表面を丸い引手のついた引違いの襖で隠しています。


この水屋棚の床面は、床権の上に板を張ったもの。


また、次の間の天井は、自然木の樟縁になっています。


素は、まったく見当らないことになってしまうのです。


したがって、「数寄屋造を書院造で造って…」とか「書院造の仕方で造られた…」の解説は、ここでは意匠的には当をえていません。


また、この茶室は閉鎖的なものではなくて、三畳と共に開放的なものを表現しているのです。


こうした山荘の適切な呼び名は、限定をつけたり、二重三重の用語の使用以外には考えられません。


そこで、私は、簡潔な呼び名「数寄屋風座敷」がこの茶室と次の間の二間を持つ灯心亭にふさわしいと思っています。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>日本の建築技術　3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://peader.com/2010/08/3.html" />
   <id>tag:peader.com,2010://3.83</id>
   
   <published>2010-08-09T01:43:18Z</published>
   <updated>2010-08-09T22:35:01Z</updated>
   
   <summary>床の間の脇に、平書院をとっています。 床柱脇の棚は、天袋が二重に入って上の天袋の...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://peader.com/">
      床の間の脇に、平書院をとっています。


床柱脇の棚は、天袋が二重に入って上の天袋の襖の引手が蜘蛛型になり、三枚の板で構成された中棚には網目状の透し彫の袖板がついています。


茶室の天井は、面皮小杉を用いた小さな格子の格縁を吹き寄せにした格天井となり、一格間毎に張り方の向きを変えて植物とくさ、山吹、をがら、つくも、あし、すすき、がま、わらび等iを入れるという従来あった形を最高に利用した組み合せで新趣向を生み出しました。


茶室の点前座にあたる台目畳の南側には、下地窓がきられます。


これを南面の縁から見た意匠は、台目残り分の奥行の天袋が菱型の引手でつき、縦の竹をやや波模様に組んだ下地窓が天袋の下に入り、水屋流しが床面にとられています。


そして、この意匠は、茶室南面の藤の張付けられた腰障子に連続しています。


南面の縁から見た場合、下地窓の東側は、次の間の棚の深さ分だけ色付の土壁にし、次の間の二本三本の吹寄せの腰障子に変わるのです。


そして、この縁の遠くに見える突当りは、床面から腰までの障子と独特な意匠の竹の欄間になっています。


      
   </content>
</entry>

</feed>

